お客様から永く必要として頂きたい!
お客様から永く必要とされる 美容師に育ってほしい!
お客様から永く必要とされる calmに育てていきたい!
そして、お客様 スタッフの お役に立てる社長であり続けたいと想っています!
そんな熱い想いを抱くきっかけとなったオーナーのエピソードを紹介します。


1991年に創業してあっという間に20年以上の月日が流れました。
沢山のお客さまとの出逢いを通じて、美容師というお仕事は、夢を叶え、愛を学び、お客さまと幸せを分かち合える最高の職業だと思うようになりました。
「彼氏から似合っているやんって褒められたんです」
「ずっとゼッペキが気になっていたけれど目立たなくなって良かったです」
「一生懸命やってくれてありがとう」
数あるサロンの中からご来店くださり、さらには、笑顔でお帰りになられる背中をお見送りさせていただきながら喜びの感動が込み上げてきます。
そして、私たちカルムは、これからも甲子園の中心から愛を広げる美容室であり続けようと決意を新たにしています。
愛という言葉を大切にするようになったきっかけは、ある天国に行かれたお客さまとの出逢いがきっかけでした。
その方と出逢った時には、私はまだサロンをオープンしたものの、
自分の技術にも自信を持てず、ただ、ただ必死で働いていた時でした。
近所の商店街で働いている女性の方々からは「琢三カットして!」「琢三パーマかけて!」と弟分のように可愛がっていただき、
私も、どんなご要望でもお応えする以外には何も出来ないと思っていました。
そんなある日、ふと、普段は殆ど話すこともないような、お上品な女性がご来店下さったのです。
それがルリコさんとの出逢いでした。以来、ずっとカルムに通って下さるようになったのです。
ご来店下さるたびに、ルリコさんは「あなたはこれから有名になるわよ」、「あなたは、今までに見た中で一番の美容師よ」と私を励まして下さいました。
生まれてからずっと、そんなに褒めてもらったことのない私でしたので、期待をしていただいたり、温かい言葉をいただいて、それまでにはなかった自信や、未来への希望を持つことができました。
ところが、それから数年後、ルリコさんは大病をされて、手術や入退院を繰り返されることになりました。病状が重くなってお一人で歩けなくなると、ご主人さんが、車で送り迎えをして下さいました。
その時には、すでに寝たきりの状態だったのですが、カルムにご来店下さる時には、
必ずパーティ用の正装をしてお越しくださいました。
息がいつ途切れるか分からないので、酸素ボンベは身体から離すことができない状態でした。ご主人さんからは、ルリコさんに聞こえないように「死ぬまで頼みます」と、何度も言っていただいていました。
そして間もなく旅立ちの日がやってきました。
ご主人さんから、お電話を頂いた時、私は、人前にもはばからず涙をこらえられませんでした。
「川畑くん、ルリコが死んだよ。綺麗にしてあげて欲しいから頼む」
お通夜の会場に行かせていただくと、妹さんとご親戚の皆さんが私を待っていてくれました。妹さんは、私に「よく来てくれましたね。姉から聞いていました。
あなたが姉の言っていた美容師さんなのね」といって迎えて下さいました。
お化粧とセットをしてさしあげたときには、かつてルリコさんから頂いた温かい励ましや、楽しかった思い出が後から後から脳裏によみがえって胸が一杯になりました。
そして、これが最後のお別れなんだと思うと、言葉にもなりませんでしたし、涙が後から、後から溢れてきて止まりませんでした。
お化粧とセットが終わった時、ご主人さんと妹さんは「ルリちゃん、あなたは幸せものね。あなたは、世界一の美容師に最後までしてもらって幸せね」と声をかけておられました。
私が本当に世界一の美容師か。世の中には、私以上に技術も経験もあり、指名も多く、有名な方がごまんとおられます。
けれども、ルリコさんとご家族さんから「世界一の美容師」と思っていただいたことが、これまでの美容人生の中でも一番の心の支えになっています。
そして、カルムで働くスタッフたちにも、同じようにお客さまの心の支えになって欲しいと思って、スタッフとしてよりも人ととして真正面から向き合うようになりました。
お客さまが心から信頼できる美容師との出会いは、人生を大きく変える可能性がありますし、私たち美容師は、お客さまの声なき声を形にし、心の美しさを髪の形にしてさしあげることが使命だと思っています。
まずは、誰しもが髪に関する悩みを抱えておられますが、その悩みを解消してさしあげるのが美容師の仕事の始まりです。
頭の形、はえぐせ、くせ毛、ペッタンコ、はねて困っている。まずは、それを何とかしてさせていただきます。
そして、ご本人にぴったりと似合っていたり、綺麗になったり、可愛くなることで、色んな人生の夢を実現出来る機会が広がりますし、周りの方とも、もっといい関係になれるチャンスが増えてきます。
頭がぼさぼさだと気分も乗りませんし、彼氏さんや、旦那さんにも優しくなれないかもしれません。
けれども、キレイになった先には全く違ったワクワクした未来が広がっています。その世界を一緒に描いていきたい。
そして、甲子園の中心から愛を広げる美容室であり続けたいと思います。

美容室カルム 代表 川畑琢三
「愛ってどないやねん!」
元々は手がつけられない悪童だった私が、現在は、カルムの仲間たちと
一緒にお客さまの髪の悩みを解消して人生がワクワクするお手伝いをしています。

振り返ってみると、美容師というお仕事に出逢えたことが何よりの転機になりました。

「彼氏から似合っているやんって褒められたんです」
「ずっとゼッペキが気になっていたけれど目立たなくなって良かったです」
「一生懸命やってくれてありがとう」

お客さまから感謝されて、照れたり、喜んでいるスタッフの姿を見るたび、心の底から嬉しさが込み上げてきます。
そして、最初は自分に自信の無かったスタッフが、人との触れ合いを通じて成長していく姿を見ながら、いつも涙が出そうになります。
美容師というお仕事は、夢を叶え、愛を学び、お客さまから感謝され、幸せを分かち合える最高の職業です。
今の夢は、美容業界を変えていくような愛にあふれるお店をつくることです。そして、美容業界を若い人にとってもっともっと魅力ある職場にして、働く人を輝かせることに挑戦していきます。
それが、これまでにお世話になった方々への感謝をお返ししていきたいと願う、私にとって何より使命です。
けれども、40過ぎのおっさんから「愛」といわれても、「どないやねん!」とツッコミを入れたくなる方もおられることでしょう。
今では日本全国の心ある経営者の方々と共に、先進的な美容室の経営をさせていただいている私ですが、昔は、こんな風になれるとは夢にも思っていませんでした。
何しろ、小学生の時にはイジメられてもただメソメソと泣いてばかりで、中学に入れば道を外れて何度も親を泣かし、高校を中退して就職したものの事故を起こしてお医者さんから「あなたは一生障害者」と言われ、せっかく手に入れた美容室も震災で一度は営業できなくなってしまいました。
それでも、美容の世界に入ったことで「愛」のある人達と出逢い、何事も体当たりで学んできました。すると、ピンチの時には、必ず奇跡が起きて、今では甲子園の駅前徒歩1分という素晴らしい場所で、最高の仲間と夢に向かって頑張っています。
今回は、同じ地球に暮らす70億分の1のかけがえのない出逢いの記念に、私に起こった物語をご紹介させて下さい。ささやかですが、前途あるあなたの人生の参考になれば幸いです。 私は佐賀の港町で幼少時代を過ごしました。おじいちゃん、おばあちゃんにものすごく愛されて、めちゃめちゃ居心地のいい毎日でした。
けれども、その一方では、人前でしゃべれない、頭は悪い、運動もできない、自分では何もできない、すごく大人しい子供でした。まるで、のび太くんのような感じです。
気づいた時には超いじめられっ子になっていて、一緒に遊んでくれる友達もいませんでした。遊びに混ぜてもらえる時には、いつも隠れんぼや鬼ごっこの鬼をやらせれて、一度も交代せずにその日が暮れていくという感じでした。
遊んでもらえないのは寂しかったですし、鬼のままでいるのも悲しくて、いつも泣いて帰っていました。家に帰ると、おじいちゃんと、おばあちゃんが泣いている私に「辛抱せんね」といいました。
父親からも「辛抱せな。ぜったいにケンカしたらいかん。自分から手を出したらいかん。でしゃばったらアカン」と言われていました。
いつも孤独感が満載でしたが「辛抱しなあかんのや」と思っていました。そして、すごく悔しかったです。今思えば、心の底では普通に必要とされる人になりたかったんだと思います。
その後、小学5年生の時に佐賀から大分に引っ越したのですが、転校する時には「絶対にイジめられないぞ」と思っていました。それでも、「田舎もん。よそもん」といじめられました。
それが、小学校5年の終わり頃から6年生になる時に転機が訪れたのです。 いつものように泣いて帰ったある日、父が「そんなにイジめられるんやったらやってこい!やられたらやり返して来い!」と言い出しました。
あんまりにもメソメソしていたので、このままだとイジけた人間になるんじゃないかと心配したんだろうと思います。
「え?」ってびっくりしました。そして、「このままやったらあかんのや」と思いました。それで、ある日「なにくそ!」とがむしゃらに手を出したのです。
すると「あいつはケンカ早い」といわれ、余計に嫌われただけでした。でも、「別にええわい」と思いました。そして、一人で遊ぶようになったのです。 そうこうしているうちに、中学生活が始まりました。それまでは、頭が悪くて運動できなかったのが、不思議と出来るようになり、ケンカも負けなくなりました。「やったらやれるやん!」という感動があり、どんどんと、やんちゃになっていきました。

気づいた時には暴走族のリーダーになっていて、喧嘩と遊びに明け暮れる毎日を過ごすようになっていました。悪友も沢山できました。ただ、変なプライドがあって、「頭が悪くてケンカだけ強い馬鹿」と言われるのが嫌で嫌でしょうがありませんでした。
そこで、「みんながビックリする点を取ったら何もいわんやろ!」とひらめいて、学校には行かず、塾に行って勉強も頑張りました。どんだけ好きなことをしていてもいい。でも、やることをやって好きにしたい。それが自分の美学だと思っていました。
中学デビューをしたのは、小学校までは何一つ自信が無かったことが原点だったと思います。勉強も運動もだめで、友達もいなかった私は、ただ、ただ、寂しいの一言でした。それが、中学に入ったら、小さな世界の中ではありますが「何でも出来る」と思うようになっていました。
心の中では「いじめられたくない、一人になりたくない」という想いがあったんだと思います。おちょくられたり、無視されたりする悔しさは忘れたことはありませんでした。強くなりたい、強くなりたい、その一心で過ごしていました。
やっていたことはともかく「もう、昔の自分じゃない。イジメられたり、ヤラレっぱなしではない」というのは、自分を信じるキッカケになりました。 その後、高校に進学したものの、すぐに退学。当時の私は15歳でパンチパーマを当て、胸囲は100センチ以上。柔道をしていたので腕っ節も弱くはありませんでした。
そして、毎晩のように繁華街に繰り出してはお酒を飲んだり喧嘩をしたりの毎日。とにかく気力体力が有り余っていて親にも相当迷惑をかけていました。
例えば、ある時、抗争関係にある暴走族と夜の10時にケンカをすることになったことがありました。その夜、メンバーは私の自宅で集合し、メンバーにカツを入れ、約束の場所に行くために家を出ました。
ところが、10メートルもしないとこにパトカーが集まっていて「殺人事件が起きた!」と大騒ぎになっていたのです。
私たちが何事かと見に行くと刑事から「お前ら何やってんじゃー?」とドヤされました。「知らんわい!」と押し問答をしていると、後ろから母親が鼻水と涙を垂らしながら走ってきて「この子達です!死んでしまう!助け下さい!」と泣き叫びました。
実は、警察が来たのは母親が通報していたのです。というのも、ついさっき暴走族のメンバーに「みんな、死ぬ気でやれよ!死んでもカマヘンように行けよ!」というのを聞いて心配させてしまったのです。
そんな、やりたい放題、悪の限りを尽くしながらも、それでも、当時はまったく反省しませんでした。
人生を通じての友人を得られたことは別として、今から考えると、アホ以外の何ものでもありませんでした。ひたむきに努力し、人さまから可愛がっていただく幸せを一度知ると、強がっているだけの人生はただ虚しいだけだと思います。 喧嘩と遊びに明け暮れる一方で、お金を稼ぐために、アルバイトにも精を出していました。そして、土方、とび、仕出しの弁当屋さんなど、学歴のいらない仕事は片っ端から挑戦しました。
どんなお仕事でも働くのは好きでしたし面白いなと思いました。力仕事は、仲間との共同作業で達成感も感じました。
けれども、ワクワクするような楽しさや緊張感、お客さまに喜ばれるやりがいを感じたのは最後に務めた散髪屋さんだったのです。
飲食店では皿洗いをしたり、サービスといっても人がつくったのを運ぶだけでしたし、お弁当屋さんも「はい」と渡すだけ。土方も物が相手です。
散髪屋さんで、パンチパーマをしたり、顔そり、角刈りがビッと決まってお客さんが「ありがとう」といって帰っていくのは、お手伝いしながらとても楽しかったです。
中でも、自分自身が時々構ってもらえるというのが嬉しかったです。誰にも認められたことが無かった人間が、直接お客さんと触れ合って可愛がってもらうのは極上の嬉しさを感じました。
そして、自分が練習した技術を、直接、人にご提供させていただく仕事は、ありそうでありません。「頑張れば可愛がってもらえるんだ」という新しい世界が開けて、直接人を喜ばせられるこの仕事、これで一生メシ食っていこうと思いました。 ちなみに、現在、カルムではお客さまと触れ合う喜びと緊張を、早くから経験してもらったり、安心して仕事や勉強に取り組めるように、シスターブラザーシップという教育制度を導入しています。
新人スタッフには、一人に一人、シスターブラザーの先輩が担当して技術や仕事はもちろん、プライベートの相談にも乗って成長をお手伝いするこの制度。
担当の先輩の判断で、まだ、テストには合格していなくても、カラーを塗布したり、早い人では半年程度で中学生のカットにチャレンジできるようになっています。
美容師は普通3・4年の修業があってテストに合格しなければ、お客さまの髪を切ることは出来ません。
けれども、これからは人間性豊かな人材を育成していきたいという想いがあることから導入に至りました。その理由は、私自身が、この仕事の素晴らしさをお客さまの笑顔から実感して頑張れたことが大きかったからです。 さて、話を戻すと、散髪屋さんで働き出してしばらくしたころ、運命の出逢いがありました。当時の私は、パンチパーマにそりこみ、サングラス、ラメラメのシャツを着て、最高にお洒落だと思っていました。それが、自分よりカッコイイと思える人にはじめて出逢ったのです。
その人は、美容師さんでした。いつも笑顔でテキパキと仕事をして何か分からないけれど「アート」な感じが漂っていて、車は外車で、服はブランドで惚れ惚れするくらいにカッコ良かったです。自分もああいう感じになりたいと強烈に思うようになりました。
美容師になったら、ベンツに乗れて、お金も稼げて、素敵な女性と付き合える。そのことで頭が一杯になってしまった私。本当に申し訳なかったのですが、しばらく悩んで人生の目標を散髪屋さんから美容師に変更することにしました。
そして、散髪屋の親父さんに相談をすると、「ホンマか!?分かった!」といってすぐに、神戸で美容室をしている知り合いの所に電話をしてくれました。私は、ドキドキしながら様子を見ていたのですが、その場で勤めさせていただくことが決まりました。

「明日お前を神戸の美容室まで連れていくから、今すぐ、荷物まとめろ!」
「ホンマに美容師になれるんですか?ヤッター!ヨッシャー!」

その時の私は、これから勤めるのが、どんな美容室で、どんなオーナーがいて、どんな仲間が先輩なのかも全く知らなかったですし、給料も何も関係ない、美容師になれるのがただただ喜びという感じでした。
散髪屋の親父さんには、今でも、感謝してもしきれないくらいです。 家に帰った私は「明日から神戸に行くから」と母親に言いました。すると、「あんたなんば言いよっとね?」とビックリ仰天。
そして「何やっても続かんのに…。でも、行くんやったら、行っといで。いっちょ前になるまで帰ってくんなよ、好きにせい!」と、キレながらも一緒に準備をしてくれました。
一方の私は「うるさい!俺は俺や、俺の好きなようにするんや!ほっとけ!」と逆ギレ。「死ねクソババア」という態度を取り、親に対する尊敬のかけらもありませんでした。
けれども、新しい、シャツとパンツを3枚ずつ一緒に買いに行って、「これ、当座の金や」と渡された封筒、中を見たら10万円が入っていました。心のなかでは「あーあ、俺って自分勝手で悪いな」と思いました。
当時は未成年なので、悪さをして捕まったら保護者が引き取りにいかないと解放してもらえません。大分から神戸は近くありませんから、さぞ心配だったと思います。
何年も警察にお世話になるようなことばかりしでかしていたのに、本当に、よく行かせてくれたと思います。両親にも、ただ、ただ感謝しかありません。 翌朝、別府からフェリーが出る時には、暴走族の仲間が大挙して見送りにやってきてくれました。彼らが走る後を警察がサイレンを鳴らして追っかけてきていて、途中で捕まっているメンバーもいました。
私は「お前ら来てくれたんか!」という感じで、むちゃくちゃ嬉しかったです。甲板にいる私に、大勢の仲間が山ほどの紙テープを投げてくれました。しっかり、握り締めると「蛍の光」が流れだしフェリーはゆっくりと出発。
すると、紙テープが引っ張られて、もう一方の先にいる仲間と目が合います。「ありがとうな!」と伝える間もなく、あっという間にテープは切れてしまいました。そして、次々と、仲間たちとの紙テープが引っ張られては切れていき、フェリーは港から離れました。
その夜は興奮して眠ることが出来ず、ずっと甲板で潮風に当たっていました。心の中では、またたく間に成功してベンツで大分に帰ることだけを考えていました。
「琢三、頑張ってこいよ!」という言葉が耳に焼き付いていて、絶対に、期待に応えたいし、裏切れないと思いました。
人の絆のエネルギーって本当にすごいと思います。 こうして、晴れて美容室に勤めることになった私ですが、とても人気のお店で朝から晩までシャンプーに開け暮れる毎日、もちろん練習も頑張りました。やってきた神戸の街は、何から何までおしゃれに見えましたし、先輩もカッコ良くてワクワクしました。
ところが、いつの間にか神戸でも悪い仲間と遊ぶようになり、ついには遊びが原因で事故を起こしてしまったのです。そして、全身に大やけどを負い、特に両手とお腹は重症でした。意識も失い、命の危険もあったので、病院には両親も呼ばれました。
目が覚めた時、両手はぐるぐるに包帯で巻かれてドラえもんみたいになっていました。爪も全部なくなっていて、お医者さんからは「火傷の後遺症で皮膚が突っ張るので美容師は無理です。両手が再び使えるかどうかも分かりません。あなたは身体障害者ですよ」と言われました。 病院のベッドの上で茫然自失の日々。しばらくは、現実に起きていることが受け止められませんでした。「なんでこうなった?」。でも、考えたくないのです。朝起きたら夢やったと思いたい。でも、現実、美容師は無理。自分一人ではトイレすら出来ません。ただただ自分が情けなかった。
そして、再び、大分に帰ることになったのです。「俺もこれで終わりか」と思いましたし、夢も希望もない絶望だけで、頭の中も真っ白でした。登っていくだけの人生と思っていたのが、何のこっちゃない遊びで失敗して身体障害者になって大分に帰ってきたのです。自暴自虐になって毎日フラフラしていました。
両腕に包帯巻いて、腹にも晒しを巻いて、暴走族の仲間からは「アホやな」といわれて返す言葉もありませんでした。けれども、その言葉からは優しさも感じました。暴走行為で本当に死んだ人間も何人かいたので「生きているだけでもありがたいやん」という感じだったのです。
それからしばらくしたある日、ふと、自分の両手を見た時に驚いたことがありました。理科室の人体標本みたいに自分の手が再生してきたのです。皮膚は薄くて血管が透け透けの状態でしたがちゃんと人間っぽく再生し、爪も再生してきました。
「ありゃ!」と思って、お医者さんに見せると「奇跡」と言われました。「よう、こんなに戻ってきるわ」と先生がびっくりされたのです。普通はやけどをすると皮膚が引きつるのですが、私の手は健康な状態で復活してきたのでした。
そして、包帯を外しても大丈夫になった時に「これは出来る」と確信したのです。「また、仕事ができるぞ」と思った瞬間はめちゃくちゃ嬉しかったです。純粋な気持ちがこみ上げてきて「今すぐ仕事がしたい、今度仕事が出来るようになったら、美容師として活躍したい」と心から思いました。
その後、神戸に戻って来れた時には、ベンツとお酒と女性はどうでも良くなっていました。純粋に美容師になりたいと思って、心が入れ替わったみたいに仕事と練習に明け暮れました。 修行時代はあっという間に過ぎ去り、初めてお客さまに入る瞬間は突然にやってきました。「琢三入って!」と店長に言われた瞬間には「キター!やらなしゃーない!」という感じです。自信はまったく無かったけれど、呼ばれて嬉しかったです。
そして、ワンレンをすることになったのですが、下手クソなので、いつまで経っても終わりません。緊張の余り、自分の手を切ったりしながら2時間かかりました。そして、不安になったお客さまの顔が、どんどん顔がゆがんでいくので怖くて見られませんでした。
髪の毛を持って切る手が背中にあたるのですが、その手が震えているので自分の不安が伝わるのです。早く終わりたい。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
以来、あんなに恥ずかしいことは二度としたくないと思って、練習にはさらに打ち込みました。技術はもちろんですが、接客や人間性においても、お客さまのお悩みを受け止め、解消して、笑顔になってもらうために、どんな頼みごとにも「NO」はないという気持ちで自分を磨いてきました。 振り返ってみると、美容師だからこそ私は普通の社会人になれたのだと思います。 あれから、あっという間に月日が流れました。20歳で店長を任され、21歳の時に自分のお店を持たせていただきました。
ところがその後の阪神淡路大震災の時にお店は半壊。これは、もうダメだと諦めそうになったこともありました。それでも、お客さまが「琢三カットして!」「琢三パーマかけて!」と次々とご来店下さったおかげでお店は復活。
あの頃から、本当に自分は助けてもらってばかりで、それをお返しするためには、「愛しかない!」と思うようになりました。
ちょうどその頃、初めて、新卒のスタッフを採用しました。彼女は対人恐怖症なのに接客業を目指すというとても強い気持ちを持った素晴らしい人が来てくれたと思いました。
でも、話すと手がブルブルするのと同時に、目もウルウルしてしまうのです。そんな彼女が、めちゃくちゃ一生懸命に頑張っている姿は、いつもキラキラ輝いていて「この子をいっぱしの美容師にしてあげたい」と思うようになりました。
それが、お世話になった方々への、自分なりの恩返しにもなるはずだと信じて、今から17年前に、愛で溢れる美容室づくりに取りかかることにしたのです。
その後、少しずつですが、スタッフが輝く取り組みが発展し現在のような形になりました。あの対人恐怖症だった彼女は、現在、店長として頑張ってくれています。
日々のお仕事の中で、カルムのスタッフが、お客さまから感謝されて、照れたり、喜んでいる姿を見るたび、心の底から嬉しさが込み上げてきます。 そして、最初は自分に自信の無かったスタッフが、人との触れ合いを通じて成長していく姿を見ながら、いつも涙が出そうになります。 とても印象的なお客さまで、毎年、お店にお花とお手紙を届けて下さる方がいます。その方のお母さまもカルムのお客さまで、手芸の先生をしておられました。 しかし、ある時、ガンになられて入院。闘病をしながら頑張ったのですが、ついには天国に旅立つことになりました。 お嬢さんが遺品を整理していると、カルムのメンバーズカードを大切に持っていておられたことが分かったそうです。生前は「早く元気になってカルムに行きたい」。そう、おっしゃっていたそうです。 初めて頂いたお手紙には「母に生きる元気と勇気を与えてくれてありがとう」と書いてありました。あれから、毎年、お母さまの命日にお花と手紙を持ってきて下さっています。 お客さまから、これほど愛していただけるスタッフがいることが、私にとって何よりの誇りです。やっぱり、「愛しかない!」。そう、思います。 愛は相手に対する思いやりであり、心遣いです。誰かのためにという本気の想いや行動の全てが愛。 美容師というお仕事は、夢を叶え、愛を学び、お客さまから感謝され、幸せを分かち合える最高の職業です。 今回の物語以外にも、胸が熱くなるようなことは数えきれないくらいあふれていまし、仲間達があなたを待っていますので、いつでも、カルムに遊びに来て下さい。 そして、是非、私と一緒に夢を叶えましょう。 最後まで、ご覧下さりありがとうございました。

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